織田信長に愛されたサムライ
- benvindamoz
- 2020年6月5日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年12月8日
あの織田信長に仕えた一人の黒人サムライ、弥助(やすけ)をご存知ですか。
弥助は、モザンビークの出身だと言われ、日本へ渡り、織田信長の側近として侍へと成り上がりました。弥助の生涯はハリウッドでも注目されています。
モザンビークのマプト市にある自然博物館には、弥助に関する資料の展示会が行われています。
弥助は、どのような経緯で日本へ渡り、信長の側近として活躍するようになったのでしょうか。
弥助は、アフリカ南部のモザンビークで生まれました。幼いころ、弥助は父親が大好きで、父親がよく言っていた、
・人は、忍耐強くあること、素直であることが大切である
・どんなにつらいことがあっても、そのあとには必ず良いことが起こる
をずっと心の内に留めていました。
弥助が大きくなった頃、ヨーロッパではインドとの貿易が盛んになり、モザンビークは経由地として使われていました。当時、モザンビークはポルトガルの植民地であり、多くの黒人が貿易商人に奴隷として売られていきました。
体格が良く、父の教えどおり素直に育った弥助もインドへ行くことになりました。最初は
重労働をしていた弥助ですが、インドで宣教師の目に留まり、宣教師のボディーガードとして日本へ行くことになります。
「彼の身長は6尺2寸(約1.88m)で、肌は木炭のように黒かった」と、後に徳川家康の家臣になった松平家忠は日記に書いています 。
当時の日本人には、アフリカ出身で、体格が大きい弥助は、宇宙人のように見えたでしょう。
日本に渡り、織田信長と出会います。織田信長は、弥助の物珍しさと恵まれた体格に惚れ込み、弥助を側に置くことにしました。弥助は、懸命に日本語を学び、信長にアフリカやインドでの出来事を話し、楽しませていたようです。さらに、信長から武術を学び、日本に到着後、1年も経たずして、武士の称号を得ることができました。研究者たちは、弥助は、忍耐強く、従順であり、「すでに侍魂があった」と伝えています。
弥助は、日本に来るまでは厳しい労働をさせられ、つらい経験をしてきました。武士になった時、父の言葉を思い出しました。「どんなにつらいことがあっても、その後は必ず良いことが起こる」と。
弥助は、信長に家族のように扱われ、信長と共に食事をする数少ない家臣の一人でした。1582年の本能寺の変では、信長のために必死で戦いました。
信長は本能寺で亡くなり、その後の弥助の生活もどうなったのか分かっていませんが、初めて武士になったアフリカ人として、今なお、注目を集めています。

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